世田豊平川の報告    190505
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世田豊平川は昔の豊平川が、現在より6km上流で石狩川に注いでいた時代、最下流だった部分。
石狩川堤防から厚別川分水の場所(=世田豊平川の始点)まで、全長約5kmを往復しました。
石狩川堤防から眺めると、石狩川の河川敷内に掘られた、世田豊平川の放水路は狭い。
豊平川から切り離された現状の水量では、樋門が開くことは稀だろうと推測。
まずは、堤防脇の道路を横断し、世田豊平川の左岸を上流に向け歩く。
河川敷地内は、工業団地の環境整備のため手入れされ、灌木・笹薮など無く、桜の植林で景観良好。
草地が広がり、舗装道に比べ、足に負荷がかかるが、爽快さはこちら、草を踏み分け進む。
川の水はほとんど停滞。色もくすんでいるが、水鳥が浮かんでおり、接近すると飛び立って、バタバタと逃げて行く。
工業団地が途切れ、川がカーブする場所も、それなりに草地の歩行は可能。
ただし、堤防のような盛り土があり、その上か、その内側を歩く。
道々128号線を横断。その先の草地歩きは、イタドリの茎が重なって倒れ、歩き難い。夏になればイタドリの藪。
川に接近してみると、「アオサギ子育て中」の注意書と通行止めロープがある。
これが草刈りしない理由と納得、枯れた茎をバリバリ踏み砕いて突破、送電線の点検路に出る。
点検路は砂利が固く締まり歩き易い。空間が開け展望も良好。
川に沿う送電線点検路は道路に突当り終了。道路を渡ってその先は、樹木苗畑の横の道。
さらにその奥は、畑の脇で道は無く、樹木の下の草地を歩く、藪ではない。
抜けると樋門施設があり、その先が厚別川の堤防。
堤防の上の舗装道には「世田ヶ谷排水機場」の文字。展望良好で札幌方面の山並が一望。
ここが世田豊平川の始点、左岸歩きはほぼ順調に完了。
帰りは右岸を歩こうとしたが、排水機場施設が行く手を阻む。施設のフェンス脇を回り込み裏道へ。
裏道はあまり使われていない様子で、ウツボグサの紫とタンポポの黄色が絨毯状に鮮やか。
気分を良くして、道路に出たが、その先は排水路に分断され、進めない。
一旦道々46号線の橋まで400mを歩き。橋を渡ってからその400mを戻り、世田豊平川の右岸へ。
気を取り直して、右岸歩きを再開、400mを歩いたところで、またもや、排水路が通せんぼ。
止むを得ず、その排水路に沿って、次の道々46号線の橋まで600mを戻る羽目になる。
この600mにはまともな道が無く、草の上歩きでおおいに消耗。
気分的にすっかり疲れたが、戻るには一般道を歩くしかなく、通行量の多い道をトボトボ歩き。
道々46号線、さらに道々110号線を合計2.7km歩いて江別古墳群到着。疲労にめげず見学する。
古墳群とはいえ、小高い丘の上に直径数メートルの土の盛上りが散在しているだけ。
この小高い丘の続きにも史跡がある。「続縄文時代のムラ」と「アイヌ文化期の砦跡」の標柱。
草刈りがしてあったので入ってみたが、地形を見ただけでは、理解できない。
次回、来訪する機会があれば、事前に由来や解説を調べてみたい。
右岸歩きの最終盤は、歩き始めと同様の、工業団地に隣接の草地の環境。
気分を持ち直し、爽快さを回復して、右岸歩きを終了しました。

出発8:45 江別古墳群対岸9:20 厚別川堤防10:25 道々110号線11:45 江別古墳群12:15 帰着13:05
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